2010年 12月 08日
いそがず たゆまず |
このところ日野原重明さんの著作を読み耽っている。
先生は来年で御年100才。
いまだに現役のお医者さんだというから恐れ入る。
以前仕事でご一緒したことがあるんだけど、カクシャクしてるとかそんなレベルではない。
頭の回転も早くて話も理路整然、しかも話す内容が慈愛に満ちあふれている。
素晴らしいお方だった。
そして前回の仕事の際、先生の人柄と話の面白さ、仕事に対する情熱などに感銘し、その勢いで企画書を一本書き上げたことがあった。
一言で言うと、人生百年の時代に百歳の現役医師に話を聞く、というもの。
でそのときは「まあ考えておきます」といういつものNGワードであしらわれたので今回もダメだとすっかりあきらめていた。
そしたら半年くらい前だったか、その担当者から連絡があったのだ。
「日野原先生が来年100才なんですよ」
「そうなんですか」
「以前に企画書をいただきませんでしたっけ」
「書きましたね、人生百年がどうのこうのって」
「ください」
「はあ」
「やるんですよ、今やらなくていつやるんですか」
「はあ」
「はあじゃありません。企画書くださいよ」
「だから上げたでしょ」
「そんな昔の持ってるわけないじゃないですか。もう一回お願いします」
「えっ、また書くんですか」
「今すぐ送って下さい。ちゃんと企画書の費用もお支払いしますから」
「わかりました。ただそれはいいんですけど…」
「なんですか」
「来年100才を迎えるってことは、先生もうスケジュール空いてないんじゃ」
「ああ!今すぐ先生に電話しますから。企画書すぐ送って下さい、お願いします」
ということがあった。
そして案の定、先生のスケジュールは空いてなかった。
100才の誕生日を過ぎると少し空きがあるらしく調整していただけることになった。
ところが、2週間ほど前にまた例の担当者から連絡がきたのだった。
「大変なことになりました、落ち着いて聞いて下さいよ。日野原先生が、ハァハァ」
「どうしたんですか、日野原先生が」
「スケジュール頂いたんです、ハァハァ。年末年始ならなんとかなるそうなんです」
「はあ」
「年末に3日年始に3日の合計6日間。スケジュール大丈夫でしょうね」
「…」
「もう決めちゃいましたから。今更ダメなんていわせませんからね、ハァハァ」
もうハァハァと鼻息がすごいのなんのって、もはやおいらには返す言葉もない。
てなわけでいまや毎日が日野原先生モードになっていて、目の前には読まなければならない本がピサの斜塔にようになっているのだ。
と書くとなんだか面倒そうに聞こえるかもしれないがそうではありません。
おいらは本は嫌いじゃないので面白ければいくらでも読める。
こんなことを書いているのもさっき読んだ先生の本にいたく感動したからなのだ。
そういう先生も若き日には焦燥感に襲われたこともあるという。
その度に先生はある詩の一節を思い出し、心の中で自分に読み聞かせるように努めたという。
一見動いていないように見える星もゆっくりと確実に夜空を移動している。
私たちも星たちのように、焦らずに、しかし休むことなく、難問に当たれと。
「時間は多少かかっても目的は必ず達成できるから」という気持ちに切り換えて自分を立て直せと。
降格した事実を受け入れはしたものの、すっきり割り切ることができない。
あの日から正体不明の熱い塊が胃の辺りでくすぶり続けている。
東京のことを思い出すたび、もんもんとした思いに支配されてしまう自分。
そんな状況で目にしたゲーテの詩は、やさしくそして静かに、おいらの心に響いた。
星のようにいそがずたゆまずだ。
教えてくれた日野原先生に感謝だ。
それにしても日野原先生の著作は多い。
多すぎる。
そのへんの作家どころではない。
机にはまだ目を通していない先生の本がうずたかく積み上げられている。
できればこちらも、いそがずたゆまずでいきたいのだけれど、こちらは大急ぎで脇目も振らずになりそうだ。
ロゴマークを若き日のCCにしてみました。
先生は来年で御年100才。
いまだに現役のお医者さんだというから恐れ入る。
以前仕事でご一緒したことがあるんだけど、カクシャクしてるとかそんなレベルではない。
頭の回転も早くて話も理路整然、しかも話す内容が慈愛に満ちあふれている。
素晴らしいお方だった。
そして前回の仕事の際、先生の人柄と話の面白さ、仕事に対する情熱などに感銘し、その勢いで企画書を一本書き上げたことがあった。
一言で言うと、人生百年の時代に百歳の現役医師に話を聞く、というもの。
でそのときは「まあ考えておきます」といういつものNGワードであしらわれたので今回もダメだとすっかりあきらめていた。
そしたら半年くらい前だったか、その担当者から連絡があったのだ。
「日野原先生が来年100才なんですよ」
「そうなんですか」
「以前に企画書をいただきませんでしたっけ」
「書きましたね、人生百年がどうのこうのって」
「ください」
「はあ」
「やるんですよ、今やらなくていつやるんですか」
「はあ」
「はあじゃありません。企画書くださいよ」
「だから上げたでしょ」
「そんな昔の持ってるわけないじゃないですか。もう一回お願いします」
「えっ、また書くんですか」
「今すぐ送って下さい。ちゃんと企画書の費用もお支払いしますから」
「わかりました。ただそれはいいんですけど…」
「なんですか」
「来年100才を迎えるってことは、先生もうスケジュール空いてないんじゃ」
「ああ!今すぐ先生に電話しますから。企画書すぐ送って下さい、お願いします」
ということがあった。
そして案の定、先生のスケジュールは空いてなかった。
100才の誕生日を過ぎると少し空きがあるらしく調整していただけることになった。
ところが、2週間ほど前にまた例の担当者から連絡がきたのだった。
「大変なことになりました、落ち着いて聞いて下さいよ。日野原先生が、ハァハァ」
「どうしたんですか、日野原先生が」
「スケジュール頂いたんです、ハァハァ。年末年始ならなんとかなるそうなんです」
「はあ」
「年末に3日年始に3日の合計6日間。スケジュール大丈夫でしょうね」
「…」
「もう決めちゃいましたから。今更ダメなんていわせませんからね、ハァハァ」
もうハァハァと鼻息がすごいのなんのって、もはやおいらには返す言葉もない。
てなわけでいまや毎日が日野原先生モードになっていて、目の前には読まなければならない本がピサの斜塔にようになっているのだ。
と書くとなんだか面倒そうに聞こえるかもしれないがそうではありません。
おいらは本は嫌いじゃないので面白ければいくらでも読める。
こんなことを書いているのもさっき読んだ先生の本にいたく感動したからなのだ。
立ちはだかる難問に身動きがとれなくなって焦る気持ちはよくわかります。けれども焦りというものは大抵あまりよい結果をもたらしません。妙な力が入り過ぎて、結局全力を出せずに終わってしまうからです。
そういう先生も若き日には焦燥感に襲われたこともあるという。
その度に先生はある詩の一節を思い出し、心の中で自分に読み聞かせるように努めたという。
星のように
いそがず
たゆまず
おのがじし
みずからの重荷のまわりをめぐれ
ゲーテ「穏和なクセーニエ」より
一見動いていないように見える星もゆっくりと確実に夜空を移動している。
私たちも星たちのように、焦らずに、しかし休むことなく、難問に当たれと。
「時間は多少かかっても目的は必ず達成できるから」という気持ちに切り換えて自分を立て直せと。
降格した事実を受け入れはしたものの、すっきり割り切ることができない。
あの日から正体不明の熱い塊が胃の辺りでくすぶり続けている。
東京のことを思い出すたび、もんもんとした思いに支配されてしまう自分。
そんな状況で目にしたゲーテの詩は、やさしくそして静かに、おいらの心に響いた。
星のようにいそがずたゆまずだ。
教えてくれた日野原先生に感謝だ。
それにしても日野原先生の著作は多い。
多すぎる。
そのへんの作家どころではない。
机にはまだ目を通していない先生の本がうずたかく積み上げられている。
できればこちらも、いそがずたゆまずでいきたいのだけれど、こちらは大急ぎで脇目も振らずになりそうだ。
ロゴマークを若き日のCCにしてみました。
by lucas_9
| 2010-12-08 16:54
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